夕暮れのゴミについて

 信号待ち。細道にゆるりと曲がっていく車の底から何かが現れた。
 暗い闇色をした板のようなそれは地面と平行して動くと、前触れなく舞い上がって一回転した。距離が近くなってスポンジ状の表面が見えた。
 いったい何だろう。
 車のパーツが欠けて落ちたのか。けど、車体の表面にそんなスポンジ状の部分などあるものなのか。ドアを開ければシートがあるが、今は走行中、まさかシートが落ちてくるわけがない。強度の感じからしてドアを貫くこともないだろう。
 僕がここに立つ前から道端に落ちていたものなのか。だとすればただのゴミの可能性が高いが……、んー、いや、表現を変えてみよう。
 スポンジ状のそれは、僕がここに立つ前からそこに存在していたのかもしれない。
 今、足元に広がっている歩道を含めたアスファルトの道路があるよりも前、自分や自分の親がこの世に生を受けるよりも前、市だの国だのそんな概念的な考えが誕生するよりももっと根源に近い過去で、もしかすると、地球が生まれるよりもさらに前なのかもしれない。
 それは、ずっと、ずっと、同じ位置に存在していた。
 たまたま今日見かけることのできたスポンジ状の闇は、世界そのものを構成しているパーツであり、普段は空間に溶け込んでいて見えも触れもしないのだが、何らかの超常的な事故によって超常的に壊れて、超常的な大阪府内に落ちてきてしまったのだ。
 そう考えると、今日ゴミにしか見えないスポンジ状のそれに出会ったことは、なんとなく誇らしげなことのような気がする。
 ああ。
 今日も暑い。
 ここのところの猛暑も、この世の空間の一部が抜け落ちて、抜け落ちた個所の空間を支えようとその他周りの空間が密集したことにより空間と空間の摩擦係数が上昇し、その結果として温度が引き上げられているのだと思うと、誇らしげな気持ちになるっていうか、超常的な大阪府内っていうか、何を言っているのかよくわからない。