便器座りにおける格差の縮小

 主に不良がする和式便器を利用するときのような座り方には、2つの意味がある。1つは、行動をすぐに起こせるように。そしてもう1つは、仲間内での身長による格差を無くすためだ。
 不良とは、その言葉からもわかる通り社会から嫌われた存在だ。そして不良は不良同士、何事もなくとも仲間以外の関係にあればすぐケンカをする。そのような性質があるため、彼ら不良は周囲に敵対関係の人間を作りやすく、逆に仲間を作りづらい。仲間は貴重な存在なのだ。
 そんな仲間に身長差があればどうなるか。差や格差は差別の元となり、不必要な争いを生んでしまうだろう。いくら信頼した仲間であってもそれは同じことだ。
 彼らは、そのような無駄な争いを避けるために便器座りをする。体育座りでは駄目だ。座高によって生まれる高低差をひざで調節できず、とっさに行動を起こすことができない。椅子はもっと駄目だ。とっさに行動は起こせるのだが、グループ内での所得格差により、駅前等に持ち寄った椅子のデザインがばらばらになる可能性がある。その差は、争いの発端だ。
「いいな、その背もたれの辺りにあるキラキラしたの」「百円の簡易チェアかよ、だっせぇ」「革くっせぇ」「マッサージチェアは反則だろ」「革くっせぇ」「革くっせぇ」「なんだと」
 こうしてケンカが始まってしまう。また、体育座りよりはマシとはいえ座高によって生まれた高低差を調節しづらい。
 つまり便器座りとは、身長差によるいざこざを避けるのに最も適した姿勢であり、ツールであるといえる。この座位がもっと広まっていれば、争いはもっともっと避けられたのではないだろうか。
 例えば、(学生の方にはわからないだろうが)会社勤めをしていると会議に参加しなければならないことがある。この会議で意見が通るかどうかは、身長によって完全に決定されている。その場の議長よりも身長さえ高ければ、どんな無茶な方針や意見を通すことができるのだ。しかし、逆を言えば身長の低い人間はどんな意見でも通すことができない。議長が自分の身長の高さを誇示するためにモニターの真正面で直立していても(議長が発言している場面ではない)、身長の低い人間にはそれをやめさせることはできない。身長の低い人間はのこぎりを持ち出し、議長の身長を下げるための努力をしなければならない。争いが起きる。
 これが便器座りであればどうだろうか。身長はひざの調節で簡単にそろえることができ、格差は生まれない。上司や部下といった役職や、その関連として所得の格差はあるだろうが、それもひざの調節である程度は変化する。
 なんと素晴らしい便器座りの影響力。
 これが一般社会に広まれば、小柄な会社員の鞄からのこぎりの柄がはみ出ている光景は稀になる。女性が無理をしてハイヒールを履く必要もなくなる。男性会社員が厚底ブーツの存在を恐れ、無理をして不恰好だ何だと否定する必要もなくなる。いかなる首相にも、大統領にも、椅子を与えるべきではない。便器座りで身長差を合わせ、対等に話し合うべきだ。それこそが真の世界平和の図だ。
 将来的には、髪型もリーゼントにしていこう。これはデコの長さによる格差を解消する。ガクランも良い。ブレザー不可。