〜にて

 おぼろげな影に誘われて、僕は濡れた草だらけの坂道を下っていく。
 空は夜だし雨上がりで気温も低いのだけど、歩いていると、たまにキュッキュッと音が鳴ったり、滑りそうになったりするのが楽しかった。どこまで行くのか不明な影の動きにも、恐怖以上に期待を感じるようになっていた。
 僕はこれからどこに行くのだろう。
 大きなお城とか、綺麗な泉とか、色とりどりの花畑とか、そういうところだったら楽しいだろうな。妖精とかいてさ、ふふ…。
 …。
 家を出てからどれだけの時間が経っただろう。草の感触にも飽きてきて、ちょっと怖くなってきた。
 空はずっと夜のまま、気温もそのまま、濡れた草もそのまま。だけど僕の腕はしわくちゃで、抜けた頭髪を見ると銀色だ。疲れや空腹は不思議と来ないけれど、時間はいくら経ったのかわからない。体の状況や記憶を少なく見積もっても、年単位はあるだろう。
 帰りたいなぁ。でも帰るとなると、今まで来たのと同じだけの時間を使うことになるだろうし、それにもう少しなんだ。おぼろげな影が薄れてきて、その姿が見えかけてきている。
 出発当時の僕と同じくらいの背格好の生きものだ。服を着ていない体の皮膚は、原色のように濃い赤色。背中からトンボのような羽を生やしていて、常に宙を浮いている。動きからたまにこちらに向いているのがわかるが、顔は残った影のせいで見ることができない。
 もう少しなんだ。もう少し近づけば、彼の影がさらに薄れて全貌を見ることができる。
 僕をこうまで引きずり回した張本人、どんな顔をしているのだろう。その期待だけが僕の足を進めている。敵は、寿命と「いい加減飽きてきたな」と言いながら振りかえる彼の態度。腹立つ。放ったらかしにして帰ってやろうかと思うけど、帰れない。