母を訪ねず

 子供の頃に始めた冒険は、気がつけば三千里を超える道のり。
 母がどの町のどの地区のどんな家に住んでいるのか、なんてことはとうに知っていて、顔も声も見聞きして、会話だってしたことがある。だけど、いざ母と対面して「僕は息子です」と伝えるには何かが足りず、機会を逃し続けている。
 そうこうしているうちに、僕の息子は税理士見習いの仕事を始めていた。向こうで通っていた大学の講師に気に入られてツテだけで仕事を手に入れたと、自虐混じりに、しかし嬉しそうに手紙には書かれていた。報告が事後なのはやや寂しい気がしたが、あれは昔から要領が良かった、など妻と語り合っていると不満は消し飛んだ。
 近々、息子は家へと戻ってくるらしい。仕事にちょっと余裕ができたから、自費で列車に乗って帰ってくるんだと大人ぶっていた。
 きっと僕は「頑張れよ」なんて言いながら、大げさに肩を叩いてやるんだろう。
 彼がこの土地を離れるまで、学年が上がるたびにそうしていた。初めてのアルバイトが決まったときもそうだったか。
 うす埃舞うレストランの、厨房寄りのいつもの席。そこからは給仕として働いている母の姿が常に確認できる。アルコールを飲まない僕ら家族に聞こえるように「カネにならねーんだから早く帰れよ」と大声で愚痴ったり、盛大な舌打ちを鳴らしている母の姿が、くっきりと。