アルファベータ

「時代の扉を開いてゆく」と呟きながらアジに刃物を入れる若い職人の横で、同じくアジに刃物を入れながらベテランの職人が「そんなオンボロ開いたところで、お前に明るい未来がやってくるとは思えないがな」と呟く。
 青年は、むっと言葉を返す。「それは、あなただって同じでしょう」
「まぁな」ベテランの職人は低い声で肯定する。「時代の影響は、誰にだって等しく訪れる。どんな形の扉を開けてもそれは同じこと」
 青年はふふんと鼻を鳴らす。
「だが」
 青年の腕を、職人が掴んだ。反対側の手で青年のアジを持ち上げながら、睨む。
「結果が変わらないからといって、汚くあっていいとは限らない。扉が綺麗なほうが、通ってくる風や景色は確実に綺麗なんだ」腕を投げ捨てて、自分が裂いたアジを見せつける。「なぁ、どっちが良い未来を運んできてくれると思う」
 青年は、震えながら視線を外した。
 ゆっくりとアジを下ろしながら、職人が尋ねる。「俺たちが開いているものは何だ」
「時代の扉です……」
「そうだな。アジという名の時代の扉だ」新品のアジに刃物を入れながら、視線を解いた。「わかっているなら、ちゃんとやれ」
 無言の音が響いた。
 少し遅れて、青年は新たな時代の扉を開いてゆく。