公園にて

 太陽が笑っていますね。
 そう僕に告げた彼女は笑みを浮かべて、くすくすと声を漏らした。


 彼女と出会ったのは、つい先ほどのこと。
 僕が日課としている公園での散歩を終え、ベンチで新聞を眺めていると、隣のベンチから彼女がニュッと誌面を覗き込んできたのだ。僕は驚いて、とっさに愛想笑いをして離れようとしたが、まぁ、どうせ退屈していたし、時間もあるし、ということで世間話をはじめて現在に至る。
 彼女のことは何も知らない。質問をすれば答えてくれるのかもしれないが、興味がないのでそうしないでいる。僕も、彼女に自分のことは何も教えていない。
「いい天気ですね」「あの雲ってネコに見えませんか」「向こうの人、さっきの散歩ですれ違った気がします」「あそこの木って何mくらいあるんでしょう」
 こんな会話ばかりだから、僕ら自身の情報なんてまったく必要ないし。
 けど、さっきの「太陽が笑っていますね」にはどう返せばいいものかと迷った。同意を求められたので、とりあえず「そうですね」とは返したけども、正直、僕の目からしてみれば太陽の表面はただ光で白いだけ。笑顔以前にまず汚れが一切見えない。
 理解できないのだから、そう言葉を返すのが最良だったかもしれない。内容のない会話ばかりをしてきたし、間なんて初見から空きまくっていた。何を言ったって形になったはずだ。それなのに僕は、太陽が笑っていると話す彼女の声や表情があまりにも嬉しそうだったことに流されて、嘘以外の返答が浮かばず、そして言ってしまった。
 ここから「そうですね」が前提の話が広がったらどうしよう。ヘタな同意をしてしまったせいで、余計に相手を傷付けてしまうかもしれない。
 考えているうちに頭の温度が上がって、小さな間が気になるようになり、会話にそこそこの内容をほしがるようになってきた。むずむずする。何か意味のある言葉を続けないと、と無性に急かされる。
 前の発言から何秒経っただろうか。僕は慌てて、とにかく言葉を吐きだす。
「目、いいんですね」
 どうでもいい部分を誉めてしまった。
 会話の流れを考えるとまったく悪い発言じゃないんだろうけど、でも僕が感じている勝手な焦りから、どうしても発言の無価値さを際立てて見てしまう。
 ああ…、次はどうしようか。どうすればいい。彼女の目のことを誉めるにしても、それ以上の言葉が出てこない。見たままの言葉ばっかりだ。つまらない。駄目だ。かといって別の面白い話題も思いつかないし…、どうすればいい。どうすればいいんだ。
 感情のため、体から変な空気が出てしまっていたのか。気付いたように、彼女が口を開いた。
「あ…、すいません。つい兄と話しているような気分になってしまって」
 僕は、彼女の発言にとっさに身構えていた。しかし、どうやら彼女は僕を批難したり、嘘のやり取りに傷付いてもいないようだった。むしろ、彼女の照れ笑いの表情を見ると幸せそうにも思う。
 理由はよくわからないけど、謝られた。悪い状況には向かっていない。
 思わず小さく息を吐く。
 補強する間もなく嘘に気付かれたが、今から考えてみれば当然のことだ。太陽が笑っているのを確認できたやつが相手の視力を誉めるわけがない。それ以前に僕は外観からして目が良くないし、見えるわけがないんだ。緊張して青紫色の変な空気も出してしまうし、ヘタな嘘だった。
 ともあれ、僕は姿勢と眼球をリラックスさせて、雑な返事をしたことについて謝った。すると彼女はさらに照れた様子で、なぜかまた謝ってきた。謙虚なのか、よほど恥ずかしいのか。その姿に思わず笑ってしまう。僕の表情を見て、彼女はまた余計に照れたようだった。
 それにしても兄か。彼女の見た目からすると、その兄の年齢は僕と同じくらいだろうか。変な話、顔とか似てるんだろうか?
「いえ、仕草といいますか、あなたの雰囲気や話し方が何だか似ているな、て…」
 違うみたいだ。なんとなく、ほっとする。
 それから、彼女は表情に照れと幸せを混じらせたまま次々と兄のことを語りだした。彼女の兄は、とっても優しくてユーモアがあるのだということ、とっても強くて勇気があるのだということ、非常に尊敬しており、大好きなのだということ。現在、遠く離れた他国へと留学しており、何年も会えないでいるのだということ。
 彼女は、公園で僕を見かけるたびに妙な親近感を覚えていた。今日、隣のベンチから不自然に、わざとバレるように新聞を盗み読もうとしたのはそれが理由の元だ。嘘でもいいから、少しでもいいから、兄との記憶に触れたくて。
「この時間、私はよく兄と太陽を眺めていました。全ての目を束ねてやっと見える、あのいびつな笑顔が2人とも大好きだったんです」
 心から語る彼女は、顔から伸びた十六本の目をぎゅっと束ねて太陽に向けた。
 種族の違う僕には、その模様の形を直接知ることはできない。ただ、彼女の話を聞き、彼女の横顔を見ていると、それはきっと素晴らしいものなんだろうなと思えた。(体からは、輝くような黄色の変な空気が出ていた。)