飽食時代

 服を着ながら餓死というのは、何か寂しいものがある。船に乗りながら餓死というのも、何か寂しいものがある。その寂しさは、それら製作業に関わってもいない僕の中に「もし服や船体が食べられる成分でできていたら」と、悔やみに近い発想を呼び起こす。
 けれど、いざ自分の垢や足跡が付いているようなものを食べてみたいかと考えると、食べたくはない。汚らしい。
「食べられる服や船体があったら食べてみたい」という人は、おそらく現状でも化学繊維の服にソースをかけたり、金属製の船体に大根おろしを乗せたりしているのだろうと思う。きっと今も、服や船体にかじりついているのだ。それだけ食の欲望にやられている。食の愚者。食いだおれ。なんと浅ましい。
 僕はその姿を想像することで、再び感情が闇深くへと沈んでいくのを感じた。