先週の話

 文化の日、地元の祭りへと行ってきた。
 祭りといってもミコシを担いで何かをするというわけではなく、駅近くの広場にちょっとした出店が増えたり、ちょっとしたステージで誰かが演奏をしたり、その程度の規模のもの。これが言葉の意味として「祭り」の分類に含まれるのかは怪しい部分もあるが、とにかく地元ではこれを「祭り」と呼んでいた。そんな場での小さな出来事。
 私はライブを聴いていた。音響設備的には微妙ながらよくできたジャズな演奏、彼らの手前には婦人会らしき方々のよろよろしたダンスが配備されている。彼女らの踊りは静かな曲でも無駄にアップテンポで、そのくせアップテンポな曲になるとリズムが取れないという不思議な手法で客の視線を奪っていく。最初はその奇妙を楽しく見ていたが、次第に感情はうっとうしさに変わり、私はステージ側から目を外すことにした。巧みに演奏を隠すくせに、彼女らの動きはワンパターンで退屈だ。
 外した視線がまず向かったのは周囲にある屋台。だが、どれも面白さはない。焼物やジュースと販売物は普通だし、店員も普通のおじさんおばさんだ。一部、演奏のリズムに体を揺らしながら接客している人もいたが、この場ならやはり普通。それがウォークマンを聴きながら揺れているのならまた違うのだろうが、そんな偏屈はいなかった。普通だ。特殊な出来事なんて生まれてきそうになかった。じっと見ていて目が合えば恥ずかしいし、合ったところで何かくれそうな雰囲気でもなかったので早々に視点をずらす。
 しかし何もない。ステージと屋台を外してしまえば、あとはテーブル席に座っている客と、溢れて立っている客がそれなりにいるだけだ。大抵の人はライブに集中しているので会話はないし、話していても演奏で阻害される。動きもない。音のない空間としてはとても退屈。結局、目の先はダンサーへと向くこととなった。
 いや。
 客席を視界から外し切ってしまう直前、少しだけ、小さな出来事を見つけた。
 そこにいたのは、テーブル席に座ってライブを観ている老人と、その隣で紫色のリュックサックを背負って立っている中年の男性。中年の男性は、じっと老人を見下ろす形で立っていた。1分か2分か。それほど長くはいなかったかもしれないが、中年の男性は、その姿勢をしばらくキープした後にじとりと去っていった。去っていく彼の目は、どこか哀しそうだった。
 老人は、口を半開きにしたままステージにじっと見入ったまま。何も気付いていなかったのか、それともあの中年の男性とは何か確執のようなものがあってわざと無視をしたのか。個人的には後者だと思いたい。
 あの中年の男性は、十数年前のあの事件について老人に許しを請いにやってきたのだ。しかし彼は当時から風貌が変わりすぎていた。健康的な小麦色の肌は汚れた黒色に染まり、三里先をも見通せたあの目はメガネでも補えず、豊かな直毛も失い、あげく紫色のリュックサック。気付いてくれなくて当然か、彼は哀しみ、しかし、もしくは忘れているのならいっそ…。中年の男性は退く。彼が消えたのを確認して、老人は口を半開きにさせたまま鼻で笑う。老人は気付いていた。中年になった彼が、十数年前のあの事件の発端の男であると。だが、あえて無視した。彼は彼で反省したのだろう。苦しんできたのだろう。しかし長年反省し、紫色のリュックサックの紫色の中身を私に返せばそれで終わりかと言えばそうではない。あの事件は、そう簡単に解決できるような甘いものではないのだ。老人はライブを鑑賞しながら半開きの口に哀しげな表情を浮かべ、もっとお前は苦しむべきなのだ、と半開きの口のまま呟いた。
 …。
 気が付くと、婦人ダンサーの数が増えていた。動きどころかテンポから全員がずれているのを見て、あの中年の男性と老人の関係のようだなとは思わなかったし、頭にもよぎらなかった。