包丁のようなもの
先日、どこかの県の男性が包丁のようなもので銀行員を脅して逮捕されたらしい。
包丁のようなもの。ニュースでこう説明されていたが、これって何だろう。アナウンサーは執拗に「包丁のようなもの」を連呼していたので、決して絶対に包丁そのものではないらしい。ナイフや刃物と表現しなかったのは、包丁のようなものでありながら、刃がなかったからか。
何だろう、それ。
台所に行って実物の包丁を見てみると、まずその鋭さよりも銀色のぎらつきが目立っているように感じた。ということは、銀色をしていてある程度の細長さがあれば「包丁のようなもの」と区別できるのではないか。
手近に視線をやると、居間のテーブルの上に携帯電話があった。折畳式のやつで、銀色をしている。
これを開けた状態にして突き出せば、それはつまり「包丁のようなもの」ではないか。古い機種だからアンテナもある。解放すれば、実物の先端にある尖った形も多少は模倣できる。
難点は全体的に丸っこいところだが…、まぁどうでもいいか。さっき書いた定義には沿っている。
ほかに「包丁のようなもの」はないだろうか。
…、どれにしよう。ざっと居間を見渡してみると、銀色のものって意外に多いことに気付く。銀色でさらにある程度長細いものだけをピックアップすれば、リモコン、ポケットティッシュ、MP3ウォークマン、液晶テレビ、…こんなところか。
個人的に一番注目したいのは、液晶テレビだ。銀色は枠だけにしか存在していないものの、それなりに薄く、そして何より26インチを誇るこのサイズは凶器としての迫力が凄まじい。
想像してほしい。目出しマスクを被った人間が、26インチの液晶テレビの角を突き出しながら脅してきたら怖いだろう。あなたは、そのとき「やばい。相手の要求を飲まなければ刺される」と、そう思うのではないか。刺される。本物の包丁を向けられたときと、同じような頭のリアクションだ。
すなわちこの液晶テレビは、包丁のようなものとしての資質は十分である。液晶テレビは、包丁のようなものだと断言できる。
いや、むしろこれだけの項目を満たしているのだから、これはもはや包丁そのものと言っても過言ではないのかもしれない。そういえばこの長方形の輪郭は、前々から中華包丁とそっくりだと思っていた。関係のないテレビ番組や映画を観ながら、周富徳のイメージが常にあった。そして今、驚いたのだが「しゅうとみとく」と打って変換すると「周富徳」と一発で変換される。辞書登録をしてもいないのに、である。こんな個人名が正確に変換されるのは、ドラえもん以来だ。ドラえもんの声優を周富徳にすればいい。彼にはその資質がある。
…。
しかし、実際「包丁のようなもの」とは何なのだろうか。ただの包丁のおもちゃだろうか。それだったらつまらない。
仮に液晶テレビが凶器だったとするなら、警察はどのような理由でこれが凶器だと気付くことができたのだろう。ニュースでは、犯行に使われた凶器を警察が発見、犯人に突きつけることで犯行を認めさせることができた、というようなことを言っていた。犯人の自供ではなく、警察自らの判断によって凶器を特定したわけだ。
何だろう。液晶テレビの角にたっぷり血が付着していたのか。それだったら、凶器と思えるかもしれない。