明るい文章

 しばらく前の記事で宣言した「明るい文章」について、今でもたまに考えています。しかし、明るい文章というのがいまいち理解できず、全然進むことができないでいます。
 例えば、主人公が花畑の中心にいてあははふふふと笑っていれば、それは明るい文章なんでしょうか。ハッピーな感情を書き綴っていれば、明るい文章になるんでしょうか。ここから間違っているんでしょうか。そして自分から例を出しておきながら、自分には、誰かが花畑であははふふふと笑っている風景というのは、なんか精神的にグロいように感じてしまいます。
 だって、花畑の中にいることの何が楽しいというのか。そりゃ匂いや色や模様とか、雰囲気としての総合とか、楽しめる要素はたくさんあるでしょう。しかし、それってせいぜい笑顔が出るくらいで、あははふふふと笑いを噴出させるのとは何か違います。楽しさのジャンルが違うというのか、花畑の中心にいて気分的に高揚することはあっても、笑えはしないでしょう。もし花畑に笑える要素があるとするなら、それはどういうものなのか。花の模様や食われ跡が滑稽で面白かったりとかいう、花を下に見た感じ? それとも、こんなに綺麗な花に囲まれている私はそれほど綺麗ではない、私ってば浮いてて滑稽とかいう自虐笑い? それとも、醜い私で少しでも花畑の価値を下げてやったとかいう自虐と勝利の笑い? 他はお花の妖精が話し掛けてくれるとか、そういう幻覚? いずれにしても悲しい。もしくは暗い。目線はうつろ。明るいだなんて口が裂けても言えません。そもそも花畑の中心まで深入りするというのは通路となる花たちを踏み、傷付ける行為でもあります。植物にだって喋れなくても心があるらしいですし、花畑を管理してる人だっているでしょうし、そういう事情を考えずに場を踏み荒らすのは極めて迷惑。自己中心的です。主人公は、花と管理人に謝罪すべきでしょう。さらに、もしこの花畑がそこらの公園に設置されている程度のミニサイズのものであれば、主人公の容姿の美醜を問わず、彼女(彼)が居座ることで景観は大きく崩されてしまいます。見学者が花だけを見ようと目線をずらしても、視界の端に彼女(彼)はチラチラと映るし、何がおかしいのかあははふふふと耳障りな…。邪魔すぎる。花畑の主人公さん。あなたは、そこに訪れた家族連れや恋人たちにも謝るべきです。そしてどこかへ行ってください。ほら。ほら。…なんでどかないんですか。あははふふふじゃないですよ。見てわかるでしょ? 僕は嫌がってるんですよ。周囲にいる方々も同じ感情です。ほら、笑ってないで。ねぇ。…お願いしますよ。移動してくださいよ。ていうか、あなたの目、なんでさっきより嬉しそうなんですか。僕らが嫌がってるのわかるでしょう? ねぇ。どいてくださいよ。そもそも、あなた花畑の中心にいるくせに、花のことなんか見てないじゃないですか。見てるのはもっと遠く。…嫌がってる僕らの顔を見て、あなたは何を楽しんでいるんですか。
 …。
 やっぱり精神的にグロい。自分から例を出しておきながらなんですが。


 でも真剣な話、明るい文章ってよくわかりません。
 おとぎ話の流れなどを思い返してみると、主人公に目的やら望みやらがあって、それが達成できれば明るいということになるんでしょうか。暗い状況から抜け出したりとか。…よくわからん。この推論が合ってたとしても、そういう流れのものを書いたことないですし。