路上の販促

 最近の販促戦略は、ポケットティッシュや油取り紙の配布では飽き足らないらしい。
 昼間、友人の家へ徒歩で向かっていると、突然ソフトバンクの店から飛び出してくる人間が一人。これいかがですか、と差し出してきたのがポケットティッシュにパンフレット、もうひとつポケットティッシュ、それに赤色のシロップがたっぷりかかったカキ氷だった。
 考え事をしながら歩いていたこともあって、とっさに「いらないです」と断ってしまったが、あれは可哀想なことをした。
 店員は、もう見るからに必死だ。
 粗品の数もそうだが、わざわざ完成品のカキ氷を紙カップに入れて持って立っているわけだ。手が冷える。その上、あんなもの溶けてしまうまで、せいぜい十分ももたない。溶けたらまたいちいち氷を削り出して、また冷気で手を痛くしながら持っていなくてはならない。
 奇妙な自己拷問図。店員は、自らにそんな仕打ちをしながら、自社の製品をアピールしようと必死に必死だ。
 彼の視界ではこちらの奥に現金や成績などの欲望が見えていて、この行為自体、店側が勝手にやっていることだ。それは理解しているのだが、やはりどのような理由であれ「必死」を断ってしまったっていうのは、なんか、悪いことをしてしまったなと変な罪悪感を覚えてしまう。
 例えば、屋外の誰にも見られないであろう空間で全裸になりたがる性癖の人の実行現場を偶然にも目撃してしまい、それでなんか申し訳なく思ってしまうような、そんな感情と似ているかもしれない。
 可哀想。
 …、可哀想のジャンルが違う気がしなくもないが、遠くもないはずだ。(実際、歩いている前に飛び出してきたときは「うわっ」て思ったし)