ノベラゴン 2「始まり(終わり)」

 ここを進むと何があるんだっけ。
 ヨヨタは、延々と続く砂の景色と、自分と同じくずしりと汗にまみれたベレに目で尋ねた。
「……」
 砂と砂、砂と砂と砂は相変わらず。
 ベレはヨヨタの質問に気付いたようだったが、答えようがないのでヨヨタに視線を向けたきり、ただ息を荒げていた。


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「宝の地図?」
 すっとんきょうなヨヨタの声が酒場に響いた。
 キャップ頭のヨヨタが見つめる先では、面長なベレが自慢げに丸めた紙をふらふら舞わせていた。紙は茶ばんだ羊皮紙で、ベレが手首を振るたびに紙を巻いた紐の余りが飛び回った。
 テーブルの近くで待機するウェイトレスは、「またか」といったふうの目でベレの後頭部を眺めている。
「そう。あの大泥棒のピティーが生前溜め込んでたっていう隠し財産の場所が、この地図にはっきり記されてるんだ。ほら、ここに署名もあるだろ」
 ベレが指さした羊皮紙の隅には、粗くかすれたくせ字で「ピティー」と書かれていた。ヨヨタは「うわあ」と言って目を輝かせた。


 ピティー。たった二千日前には生きていた伝説の大泥棒だ。少年ヨヨタの知る彼女は既に老いていたが、その能力は衰えを知らず、今日もまた明日もまたといった具合にほぼ連日新聞の紙面を賑わせていた。
 彼女が楽しいのは、仕事の有能さに加えて、鼻先一つで軍隊を動かせるような貴族の連中から盗み続け、稼ぎのほとんどを服飾に費やしていたことだ。行為のそれは傲慢な悪党そのものだが、貴族の多くはそれ以上に民衆を困らせ私腹を肥やしていて、また彼女は一着で家をも建て直せるような巨額の服を、一度着ただけで誰かの家に捨てていくという習慣があった。専門家の説によると、それは自分は誰にも見られないという自信をみせつける挑発行為とのことだったが、そんなことは関係なく服を置いていかれた貧しい人間は「ありがとう」と何度も言ったし、明らかな高級感をまといながらもけして傲慢ではないその服飾や宝石のセンスは、ブランドの価値も底上げた。
 彼女の姿は誰も知らない。わかっているのは活動年数と、貴族の家に置いていく置き手紙に記載されていた「ピティー」という名前と生年月日だけだ。年齢は生年月日から割り出され、享年の九十二歳も同じようにして割り出された。
 彼女の終わりは実に華々しかったという。
 業を煮やした軍が、ピティーひとりを狙って、使い古しの貴族の屋敷と何も知らされていない貴族ごと業火を浴びせたのだ。大砲や爆撃を、何発も何度も。
 遠く離れた観光地として名高いリンデルの夜は、かき入れどきの街の照明なんかと比べものにならないほど、赤々と照っていた。酒場の喧噪なんかと比べものにならないほどの悲鳴と興奮の声が立ち昇っていた。
 翌日の新聞に載った黒焦げの彼女のスケッチは、多くの民衆の心に深い苦しみを味あわせた。ヨヨタも涙こそ流しはしなかったものの、やはり悲しみに唇を噛んだ。


 そうして人々から愛された大泥棒ピティーだったが、世間が悲しみに飽きると、それに合わせて紙面はピティーの財産に関する内容へとシフトした。
 服捨て女のピティーは奪った金銭のほとんどを服飾に費やしていたが、五十年もの活動年数はあまりにも長い。服飾の支払いがあくまで盗んだ全額ではないことと行為の頻度を考えれば、相当額の遺産が残っているに違いない、というのがメディアの煽りだった。
「貴族の家の置き手紙にヒントがあるのではないか」
「捨てた服の順番にヒントがあるのではないか」
「盗みに入った貴族邸を順に線引くと、まさしく答えとなる図形が地図上に現れるのではないか」
「『ピティー』という由来不明の名前には、何か意味が隠れていないか」
 新聞によって出発点や招く学者の差はあれど、どこも似たような記事を千日以上続け、そしてどこも似た進捗状況を保ちながら、新たな仮説を生産し続けていた。


「ってことはさ、あれって本当のことなのかな?」
 ヨヨタが、興奮気味にフォークを振り回した。フォークからそこそこ大きなミートソースの塊が飛んで床板を汚す。ベレは、まっすぐにヨヨタの顔を見てにまりと笑う。
「なにがだ?」
「またー、わかってるだろ」
 ヨヨタも笑う。
「こないだの信頼第一新聞でも今日の泥桶新聞でも書いてた。盗み先の屋敷同士を法則に従って直線で繋ぐと、線は絶対にこのキフ町を通ることになるんだって」
 ベレの笑顔が深くなって、それは大きな笑い声となって弾けた。
「そうだそう。そして、これはキフ町の古物商から手に入れた地図だ」
 ベレが右手をあげる。清掃業者をしている彼の腕は、それなりの力強さをアピールしていた。
 そんなどうだっていいものに目を奪われるほど、ヨヨタはベレの持つそれに注目していた。こっちを険悪に睨みながら床のミートソースをふき取るウェイトレスのことなんて、かけらすら意識に入り込まない。
 掲げられた巻物の紐をベレが引くと、するりと紐は抜けて、羊皮紙は彼の手からこぼれて広がった。


「……」


 ふふん。
 ベレが鼻を鳴らす。その音が酒場に響く。
 カチャ。
 ヨヨタがパスタの中にフォークを潜らせる。口に運ぶときもミートソースの水気ある音が響いて、ヨヨタは数十秒前に思った「もうちょっと塩気が欲しいな」という感想をまた同じように頭に生まれさせた。
 ふと事態が気になったウェイトレスは、ベレの正面に回り込んで紙面を覗き込むと「くだらない」と言わんばかりに舌を打った。
 明らかな無地。
「何これ?」
 パスタを飲み込んで、ようやくヨヨタは一言目を排出した。ベレは左手のコーヒーカップを置くと、やはり自慢げに声を張った。
「地図だ」
「何も描かれてないじゃん」
 どこからどこまでも茶ばんだ羊皮紙だ。そんなにぽいぽいとは使えないが、彼らのような一般市民にも手軽に買うことができる代物だ。多少の年季が入っているようには見えるが、だからどうしたというのだ。
 ヨヨタが疑いの目を接近させていると、ベレの無骨な指があいだに現れて、視線を誘導した。
 広い広い野を進んでいく。羊皮紙独特のつやや色むらはあっても、でこぼこも何もない。そんな表面にヨヨタが飽きていると、やっと視線はインクの黒染みに到達した。
「小麦粉 卵 砂糖 絶対買う」
「はあ?」
 読み上げると、ベレに何言ってんのという顔をされた。
 羊皮紙の右上角地の薄すぎる黒インクをつついて、ベレは解説を始めた。
「この図形、見覚えあるだろ?」
「図形……」
 これを図形というのか。端っこだし、字として読めるし、ただの価値不相応なメモ書きとしかヨヨタは認識できなかった。
「昔よく遊んだろ。これは、広場がやたらでかいくせに遊具が一角にしかないキフ町の中央公園だよ。これが滑り台で、これが砂場で、これが平均台でさ、ほら、お前よく落っこちて泣いてたじゃん」
 たしかに中央公園は子供の頃に頻繁に通ってたけど……、たしかに広場と遊具のさじ加減はそんなふうだったけど……、でも、よくそれを答えとして納得できるなぁ。
「で、これが何って?」
「地図だ」
 ベレは幸せそうに口を横一杯に広げて、背を立てた。
「ちゃんと本物なの?」
 尋ねたところでたかがリサイクル可能なゴミには変わりないが、あまりにベレが幸せそうなので、つい質問を続ける。ベレは一層目を輝かせる。
「それなら大丈夫だ。古物商のご主人も、羊皮紙の裏にある『ピティー』の筆跡はたしかに彼女のものだと言っていた」
 ピティーの活動時期もそうだったが、盗み先への置き手紙はピティーが死んで以来ますます過熱して新聞各社が取り上げている。目利きがあれば照合は簡単だろう。
 本当にピティーが書いたものなのか。
 ヨヨタは少し興奮した。
「こんな凄いものがワゴンの中に紛れてたんだぜ」
 そして、ベレの自慢めいた安物買いの報告を耳に放り込まれて、すぐに冷めた。
 ああ。そうだ。
 冷静に考えてみて、こんなホットケーキか何かの材料メモが、満足に売れるような商品であるわけがない。それに筆跡鑑定っていうのは、いかに技術を習得したところで絶対完璧といえる結果は出ないものだ。裏の「ピティー」のサインだって、新聞のサインを真似て書いただけで、実際ピティーの物ですらないんじゃないか。むしろ、そんな前提がある筆跡鑑定に「たしかに」なんて断言した店主が自分で書いたんじゃないかとさえ思えてきた。買い物のリストは奥さんに渡されたものでさ。
「疑ってんのか?」
「うん」
 皿にフォークを置きつつヨヨタは言葉を返す。皿の上は赤色の汁まみれで、ひき肉の一粒さえも残っていない。
「じゃさ、今からちょっと行って確かめてみようぜ。ここからだったら十分もかからないだろ。な」
 行けばわかるさ、と絶叫せんばかりのベレの無根拠な勢い。いや、根拠は古物商のご主人から植え付けられているのか。
「別にいいけど」
 ヨヨタは承諾した。勢いに乗せられたというのもあるけど、暇で、距離もそれほどなかったから。
 あと、どうせやってくる見当違いを味わって、詐欺にも近い古物商のご主人に文句を言ってやりたかった。嘘をついてゴミを売りつけるだなんて、いくらなんでも酷すぎる。夢を売るのが古物商とはいっても、ちょっとやりすぎだ。
「でも、ちょっとその前に……」
 いかにメモ書きとはいえ、本当に本物のピティーが残したメモ書きなのかもしれない。その可能性を思うとヨヨタは一度触れてみたくなり、持ち主のベレにお願いした。


 二人が中央公園に行ってから知ったのは、見当違いだったということだ。
 広場はいつもの休日通りスポーツをする人間で溢れていて、ただ平坦で見晴らしのいいこの場所に莫大な財産が隠せるとは考えられない。そんなことは来る前からわかっていたが、ヨヨタは直接見ることで古物商の男を怒るためのテンションを蓄えた。
 ベレはといえば、店主から教えられた情報が「この広場だ」ということだけなので、途方に暮れるしかなかった。財産がこのどこかに埋まっているんだ、と自己弁護しようとしたが、この人口密度に、広場の土の色が完全均一なことを事実目にすると脳みそは行き先を失っていろいろなものを放棄した。
「はあ……」
 滑り台の階段に座り込みながら大きな息をついたのはベレ。ヨヨタは久しぶりに力いっぱい人を怒れることに変な期待を抱いて、腕をぶん回している。
「ガセだったね」
「ああ」
 今さら人目を意識して、隠れるようにしてベレは羊皮紙を取り出す。彼が秘密にしたがるのは、いつも失敗して恥ずかしくなってからだ。秘密にすべきはさっきまでゼロじゃない可能性を保っていた羊皮紙だろうに、ヨヨタは、こういう部分にもベレのよくない性格が表れているような気がした。
 軽くスクワットしながら、ヨヨタは彼のことも説教してやろうかと思ったが、今回は思った以上に傷が深いらしい。ベレは両目を見開いたまま固まっている。
 ベレは何かを追い求めるのが好きな人間だ。ピティーほどではないにしろ、毎日のように何か追い求める話題を見つけてきては楽しげに話した。そしていろいろな人間を巻き込んでは、夜、結局何もないその日のがらんどうな思い出を語る。「ガセかもしれないがね」そう言いつつ不確定なものに近付こうとするのがベレにとっての日常で、それに付き合うヨヨタにとっても、清濁まじった高揚の生まれる刺激的な日常だった。
 そういえば今回はベレの決まり文句が出なかったなと、ヨヨタは思い出した。あの半分ネガティブな口癖が出なかったということは、少なからずベレはこの羊皮紙に強い期待を抱いていたのかもしれない。古物商の男に乗せられて。
 ヨヨタは、ますます腹立たしい気分になった。さっさと行って叱り飛ばしてやろうとベレの肩を掴んで引っ張るが、想定外にも彼は羊皮紙から目を離さずに、動揺にまみれた声をこぼした。
「これ、なんなんだ……?」
 目線の先を追うと、羊皮紙からは赤黒いグロテスクな粘性の雲が浮き出し、強風の空模様のようにうすら速く、威圧的に動いていた。模様の中心には爬虫類の目玉のようなものが張り付いており、公園のこちら側をじっと無表情に覗いている。沸き上がる禍々しさにヨヨタの汗腺が一気に開く。
 この羊皮紙は、本当に酒場で見た紙と同じものなのか。それすらもわからないくらいヨヨタは混乱して、ベレと似たような感情の絶叫をあげた。
「うわあああああああああああ!!」
 羊皮紙から闇が広がる。爬虫類の目玉が闇の奥へと沈んで、かわりに三本指のずぶとい腕が現れる。
 絶叫が途切れてどこかに消えていきながら、二人は二本それぞれの腕で身体を掴まれて、くらいくらい紙の中へと引きずり込まれた。


 ひらり、と紙切れが風の上で滑った。
 蛇行しながら落ちていく紙切れは、時間とともに自身の存在を削っていき、そして地面に着く頃には、すっかりその形を無くしていた。






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 結果として知ったのは、あの羊皮紙は具体的な宝の地図ではなかったということだ。
 しかし、ピティーの遺産に繋がるものではあったらしい。
 古物商のご主人がベレに語った図形はまさにキフ町の中央公園であり、その場所で紙を目視することが二人をこの異世界に移動させる「超常現象」の条件だった。そしてこの図形は広大な広大な異世界の地図でもある。
 二人がいるのは世界の端。中央公園の端から侵入したからこの場所に放り出された。
 ここには何もかなく、出口すらない。
 砂だけがある。
 僕らを引き入れた大トカゲは、異世界に現れたのがピティーでないことに驚いていた。そして申しわけなさげに以上の妙なルールを流暢なうやまい語で説明すると、その場から一瞬で消失するという超常現象で、逃げた。
 地図上のまんなかにすべてが集まっているらしいが、方角はわからない。


 ここを進むと何があるんだっけ。
 何もないのかもしれない。
 ヨヨタは、延々と続く砂の景色と、自分と同じくずしりと汗にまみれたベレに目で尋ねた。
「……」
 砂と砂、砂と砂と砂は相変わらず。
 ベレはヨヨタの質問に気付いたようだったが、答えようがないのでヨヨタに視線を向けたきり、ただただ息を荒げるのみ。